2018.4.21-筆跡が異なる,もう一つの根拠

筆跡試料作成2018

筆跡試料の作成-通算58回目

わたしは,途切れることなく毎日鑑定作業を行っています。
ほとんど引きこもりに近い生活を送っており,ブログで語れるほど世の中のことを知らないことに気づいたので,通算~回目の後ろにあった「ごろの世間」を,今回からなくしました。

2018.04.21筆跡試料作成

ついでに,ブログタイトルも飽きてきたので,今回から読み物のタイトルにすることにしました。

筆跡が異なるという根拠に加えて

先日,将棋の藤井聡太六段のサイン色紙を,偽装した女性が逮捕されたという記事を読みました。藤井聡太六段は,「筆跡が違う」,「香車の数が違う」と,警察からの問い合わせに答えたということですが,このやり取りを聞いて少々感銘を受けました。

「自身が書いたサイン色紙ではない」とする根拠を,「筆跡が違う」というのは,サイン色紙を書く著名人なら,恐らくどなたでも答えることができるかと思いますが,藤井聡太六段は「香車の数が違う」という根拠を付け加えているからです。

つまり,「自分なら(将棋六段の腕前なら)こんな棋譜にならない」あるいは「こんな棋譜は(通常の打ち方をすれば)ありえない」といった,本人以外も認める客観的な事実を,「自身の筆跡ではない」という主観に付け加えることにより,否定を強調している訳ですね。

大変すばらしい。論理的な思考を常日頃行っている,プロ棋士ならではの回答です。

これは,現代の筆跡鑑定においても重要なこと。まずは筆跡が同じであるか否か,これは一般人でもある程度できることで,日常的に文字に触れていれば誰の字かが大体わかる「主観的な能力」。次に筆跡の異同が明白な部分がどこなのか,それを探すこと。これは「比較する能力」。そして,長さや角度等の計測や,比率の計算などに基づく客観的事実を得ること。これが「客観性の証明力」。

こうしたことの積み重ねによって,鑑定人は結果を得ています。ですが,筆跡が異なると判断する根拠を,複数の視点により成り立たせることは,そんなに大げさなものではなく,実は日常の中にも,ちらほら見え隠れしているものでもあるのです。

2018年4月21日庭のあやめが満開

今年も庭のあやめが満開になりました。あやめは,横浜市泉区の花でもあります。


最後までお読みいただき,ありがとうございました。